/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

GoToについて

gotoといえば、今年に入ってその名を冠した国から出てきたキャンペーン、物議を醸したキャンペーン、そのことを指すようになってしまった(大文字小文字はこの際さておく)。

だいたい、わたくしなどは、キャンペーンが無くても行くところには行くし、行くところがなければ行かない代物ではある。ことし、飛行機に乗って海を渡ったのは、年の前半を含めて3回だけだったと気がついて驚いた。そのキャンペーンの恩恵を受けなかったわけではないけれど。水戸のときにクーポン(+α)でお土産に買って帰った干し芋はおいしかったし。キャンペーンが何とどう相関するかということについては、正直よくわからない。キャンペーンの醸成する空気が、「やるべきことやらん」に対して作用したとつよく主張されたら、あーそーですかおとなしくしてたらいーんですかいーんですか、という気持ちになってしまう。そろそろ、おうちで見るものを含め、何もなくなったときにどうしたものかということを、考え始めなきゃならんのじゃないかなと個人的には考え始めている。ひたすら家で描き続けたら、ちょっとは上手*1になるのかな、ということを含め。

ことし、うひゃ、と、ハマった、gotoといえば、なつやすみに東川でウロウロしていたときのことだったかな。なお、このときの宿は、キャンペーンには何も関係なかったが、えらくリーズナブルだった。また泊まってゆるゆるしたい。

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もうヴォレアスは公式戦をすることはないのだろうが、

何度となく行きたい場所になった東川(2020.8)

札幌から旭川に向かい、旭川からは旭岳方面に向かうバスに乗り、旭川空港を経て東川の道の駅で降りた。詳細は以前のエントリに書いた。

dhalmel.hatenadiary.jp

あっ(2)を書いてなかった。(2)は東川を出た後の…であったが、うぬ。

確かこの旅の前月に、くだんのキャンペーンがおこなわれることが発表されていて、わたしはこんなことをつぶやいていた。

そしたらさー。

したらさー。

東川の道の駅に降り立って、しばらく周辺で作戦を立てて、至近でうどん*2を食べようと思い立って、店に入って注文して、注文を待ちながら不意についったーを見たらどひゃーですよ。

voreas.co.jp

Gotoさんキターーーーーーー!!!!!!!!!!こりゃgotoじゃねぇ、welcomeじゃねーかと。そこそこのけぞった。

なんだかんだで、この選手を初めて見たのが大学生の折で、確か2年のときだったと思う。本国体開催県の岩手こそいないが他の5県が総当りで、とてもとても見どころの多い大会だった。どのくらい見どころが多かったかは本文に書いた。のちのサンガイア主将もここにいる。

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当時は、まさかバレーを始めたのが大学入ってからとは思いもよらずに見ていた。そこで見てから、どこかしら気になる存在ではあり続けている。仙台大学を全カレで見る機会にも恵まれた。

大学を卒業して大同特殊鋼に入り、ことしの1月に旭川大会に登場、そのシーズンが終わるとほどなくコロナ禍に突入したが、そこで様々なカテゴリの様々な選手(同期も先輩も後輩も)と幅広くインスタライブを主催(あるいはゲスト参加)した。そこでは、いろいろな話の切り込み方、広げ方につよい印象を持ち、さて今後どのようにと思っていたら、急な退団のお知らせがあって…からの、夏だった。とにかく、どのチームも、バレーをする姿を想像できない状況での夏だったから、まずはぐわんぐわんという残響?だけがあった感だった。

そのときのわたしは、東川から即座に旭川へみたいなフットワークを発揮するでもなく、東川で借りた自転車に乗りながら、この移籍の意味するところを考えていた。9月になったところで、岡崎建設Owls(そういえば、東北6県リーグの続報はいかほどに、である。難しい状況下ではあると思いつつ)との公開練習試合で見ることが出来た。

vbm.link

ほどなくリーグは開幕し、戦いは続いている。日程消化状況がチームごとに異なる中、ヴォレアスはどちらかというと年内に消化する試合が多く、すでに半数以上の試合を消化している。ヴォレアスのほとんどの選手は試合に出たり出なかったりするから、あたらしく入った選手も出たり出なかったりしている。

そんな中で、たまたま、自分が見た、旭川に古巣を迎えての試合、そこで見た存在感と、じわりと感じた伸びしろと。その中にどんな決意を秘め、海を渡り、日々積み上げているのかを、ちょっとだけ物理的に近くなったところで、また見ていければということを、そこでは感じた。

--前シーズンまで所属した後藤選手についてお聞かせください。
平野監督:後藤選手はわたしとしても思い入れの強い選手でありまして、同じ場所でプレイできるのはバレー人として嬉しいですし、ヴォレアスというチームでどんどん活躍してほしいという思いはあります。

ヴォレアス北海道・越川優「今日なぜ3-0で勝って、前回なぜ3-0で敗れたかの差」ヴォレアス北海道-大同特殊鋼レッドスター会見コメント V2男子 | バレーボールマガジン

年を越しそうな下書きになりそうだった。来年は、どこへ行き、どこへ行かない年になるのだろうか。そんなことを考えながら、次のエントリへ。

*1:うわてじゃないわい。うわてなげ、うわてなげ

*2:本格的なさぬきうどん。美味しい

相撲に触れての「新規」みたいな話

今年の振り返り、みたいな記事を、拙ブログでは毎年12月中旬くらいからやっているのだが、今年は全然それが進んでいない。なにせあんまり「活動」していないわけで…

きょうからちょっとずつ書く(ぜんぶは書かないと思う)。

ことしはコロナ禍だのなんだのかんだのいろいろあったので、ここ数年とはかなり毛色の違う年になった。自分でもびっくりしているのは、ことし突然相撲を見始めて、だんだん解像度が変わってきたことかもしれない。

恐らくここでも何度となく書いているんだが、生まれてから半分以上の期間、相撲は見ている。ゆるくゆるく、そのときそのときのことを憶えている……つもりだった。そういえばVリーグを見に遠くに行った際にいろいろ終わったのが18時前で、投宿先でいきなりNHKをつけて見ていた……などということも、あった。

たぶん雲行きの変わったきっかけは3月だったのだと思う。見るはずのものや予定がことごとく流れ、リアルタイムに見られるものが相撲だけだった。なので、ゆるく見始めた。その後、通勤の混雑を避けてということで、出勤時間が1時間早まった(これは現在に至る)。退勤も上手くいけば1時間早いわけで、5月は無かったけれど、7月からはほぼ毎日中入り後を見られる状況になった。7月は照ノ富士が久しぶりの入幕で幕尻優勝を果たし、その後わたしは久しぶりに月刊「相撲」を買った。かつて読んでいたときよりもずっと薄くなったが一気に読み切った。

本来(?)であればそのあとに夏巡業がある頃合いだが、ことしはそれもままならない。確か前年は札幌での巡業があったが、同じ時期にV-THEATERがあって、旭川に行っていたのだったと思い起こす。

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V-THEATERを開催している旭川・大雪アリーナ(撮影は2020年9月)。横にあるのは4横綱勢揃いの折の板番付、ヴォレアスパネルの影にあるのは北の富士化粧廻し

実は9月、11月とも、是非国技館でナマの相撲を見たいという思いはあった。見られれば10年ぶりだった(2010年秋がいちばん最近だったかな)。結局、東京に行くこと自体に決心がつかずにキャンセルした。

ここのところ、なんだか初めて何かにハマった人のように、いろいろな情報や写真や動くものや動かないものを追っている。久しぶりに見るようになってから、未だ何らかの媒体を通じてではなくその空気を味わうことが難しいままであるから、どうしてもいろいろなコンテンツを追ってしまうのであるが、そこで、どうしても、「きょねんまでは普通にあったけれども、ことしはそれが難しい」ものの存在にぶち当たってしまう。巡業やら、場所入りの写真やら、各部屋が催すパーティーやイベント(この時期だと、もちつきもあった)の様子やら。ソレ……コロナ禍がきっかけで相撲を見るようになったという要素はいっぱいあるのに、なぜか、自分が見ていたわけではない「その前」を懐かしがったり羨ましがったりしてしまう。しばらくぶりに「新規」みたいな状況にぶち当たっている感じがする。そして実はそれを愉しんでいたりもする。

いろいろなことが普通におこなわれるようになったら、そこで自分の中での時間やリソースの配分は変わるのだろう(働く時間も元に戻るのかもしれないし)。そうなったときに、自分と相撲との距離感がどうなるんだかわからないが、ことしに入っての、この数ヶ月は、とても不思議な時間だった。

来年見たいものは、いっぱいある。あのひとがそうなっているすがたとか。来年こそは、生の迫力というものを、その場で味わえる機会があればいいな、しゃしんも撮れたらいいなと思いながら、今は筋肉のつきかたを見て絵を描くというようなことをしている。

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↑その2010名古屋場所にて。偶然見つけたが鶴竜が若い!

こっそり書いてます→

note.com

【AdventCalendar2020】ゾーン2と3の狭間で

本年もアドベントカレンダーに参加します。このエントリはその一環です。

adventar.org

なんだかカレンダーを増やして枠があるようなので、オオカミ少年にならないことが確定したら、もうひとつくらい書くかもしれません。オオカミ少年はヴォレさん*1だけでよい。

かんたんな自己紹介をします。かんたん、といえば、最近大分に行っておりません…(大分空港から駅に向かう途中に「かんたん」という交差点がありますが、漢字で書くとかんたんではないらしいです)

でぐちきりと申します。漢字で書くと出口季里です。札幌に住んでおります。札幌はもともと生まれ(若干のインターバルを経て)育った街ですが、東京からUターンして来年で10年になります。

バレーボールについて、主に自分が好んで見に行くのは、男子の、V2と大学界隈です。10年ちょっとくらい前から、現「バレーボールマガジン」にて、コラムや記事を書くようにもなりました。

以前は、観客席で見た様子を文章にする、試合ではない特定の日時にアポイントを取って、インタビューをする、ということが主でしたが、3年前の今頃、天皇杯で、初めて「現地、現場で、リアルタイムで取材をする」という経験をしました。

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このときに、「観客として試合を観戦するのと、記者として試合を書くために取材するのと、遣う筋肉が違う」と痛感しました。

とにかく普段と遣う筋肉が違った。という肉体感覚と、その場での立ち位置、距離感、引き出しのサイズと開け閉めの柔軟さ。(上記エントリより)

昨年までは、あくまでも「観客として」が主で、たまに「記者として」動く日があるという感じだったのが、ことしはコロナ禍の影響もあり、その割合が完全に逆転しました。ことし撮った写真を紐解くと、「これは『記者として』モードで撮ったので取り扱い注意」というタグがついた日が多いです。

(完全に余談です。このアドベントカレンダー7日に登場されてたレポートに出てくる集合写真を撮ったのは自分でしたが、カメラが故障していて半泣きでした。女子の試合は無事だったのですが……何故か北海道ダービー始まった途端に故障したカメラ、故障部位はシャッターユニットだったことがのちにわかったのですが、よくぞむりやりだったけどおささってくれましたねシャッターさん…という感じでした。なお、カメラは修理が終わったようで、年内に取りに行きます)

記者として試合を見て記事を書く際に遣う筋肉は、それぞれの記者さんにとってそれぞれあると思いますが、自分の場合、まずは「この試合をどう捉えるか」ということを、素早く、面で、そして点で捉える必要があるということ。それが、大きなポイントなのだろうと思っています。試合前半の重要なタスクとして(締め切り:どちらかが2セット取るまで)、その試合についての談話をどの方に対して取るか、リクエストを書くというのがあり、それを考えるのに頭が一杯で、実は試合の流れちゃんと追えてるんだろうか、ということは少なからずあります。むしろそればっかりじゃないかというのは、主に今季の反省点です。どのことだろうと思ってわたしの出没していた試合を想像したらわかるひとにはわかると思います。たいていそういうときは、帰りの列車の中とかで「ひゃー」とか「んがー」とか言いながら、(その時点では、あるいはそのあとも)誰にも言えないことをじくじく抱えておりました。

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たとえばこの試合のあともね

筋肉の遣い方と言葉の選び方と大事なときに力*2を発揮できない脆弱性にはいっぱい課題が残りましたが、それでも、このご時世の中で経験を積み、視野を拡げることができたのは(なにせ、バレーを見るには海を越えることも少なからず、な自分が、昨シーズン2月のカピオ以降に飛行機に乗ったのは、水戸での開幕週ただの1回だけだったわけで)、ひとえに、現場がいっぱいあったから、だったのだろうなと感じています。そこは、ヴォレアスとサフィルヴァ、そしてそのホームに長駆されるV2のチームの方々のおかげであったのだと。それこそ北海道ダービーの折の両チームの方々のことばを借りるまでもなく、こんな日々が続くとは、札幌に戻ったばかりの頃には思いもよらなかったのだなと、しみじみ感じ入る、そんな年でした。

今季のVリーグ会場は、新型コロナウイルス感染拡大防止の為、各々の役割のひとが、きちんと区分けをされた空間で、ということが徹底されています。選手や監督、審判などはゾーン1、運営スタッフや取材者は2、お客さんは3という、それぞれの領域がはっきりしています。それぞれの折に自分の立ち位置は決まっているのですが、心境としてはこのエントリ表題の通り、なのかもしれません。

2015年以来、ちょこちょこっと拙ブログに、どんな記事を書いたか、というのをまとめておりますが、ことしも年内に一度そういうエントリを書こうかなと思っています。またそこであらためて。

追記↓

*1:ヴォレアス北海道のマスコットさん。エゾオオカミの子供

*2:あるかどうかはさておき

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北海道ダービーと

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お誕生日おめでとうございます。えっ29?とハッと我に返ったのでこのあとの文章が続きます(なおこのしゃしんはだーびーではありません)

色々ありすぎて却って書けないのではある。決して相撲脳になりきってしまったからという話ではない。ただ、絵を描くと輪郭がおすもうさんになってしまう今日このごろなので、だんだんその方面は専用機になりつつあります。

という近況報告はさておき。

先週は北海道ダービーの取材に北ガスアリーナへ。この日は女子の試合の取材から始まった……のだが、初っ端から波乱含み過ぎであった*1。すっかり中の人の電池がダービー直前に切れかけたところで、いざダービーだ、しゃしんを撮ろうと思い立ったところで、愛機KPちゃんのシャッターが怪しくなりやがったのである。ピント合うまで(というか、電源認識してシャッター周りが仕事をし始めるまで)えらく時間がかかるようになったうえに、シャッター切ろうとしたら重くておささんない(北海道ダービーなので、あくまでもネイティブに)。レンズだとかバッテリーパックだとかいろいろな周辺の接続物を疑ったが、何を外しても状況が変わらないので、立ったら邪魔な場所で座り尽くした。負荷を減らすべく、小柄なキットレンズでかろうじて静止画は撮ったが、動くものを撮れる感じが全然しなかったので、帰り道札駅まで戻って、本体を買ったヨドバシで修理受付してもらったら、本体はそのままドナドナされていった。まだ20時回ったくらいだったのだが、時短のアオリで、周辺でご飯食べるのを諦めてさっさと家に帰って記事書いた。翌日はそのまま家で一生懸命記事書いた。

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そんな感じのダービーになって泣きそうだが、別の意味で、やっぱり、北ガスであの試合をまのあたりにできたのは、ほんとうに、どうしようもなく、感慨の降りてきたことであった。思い起こすと、こっち戻ってきて来年で10年だ。はや。

こちらをずっと読んでくださっている奇特な方には周知のとおりかもしれないが、初めてこちらで大学バレーを見たときに、こちらの大学ちゃんぴょんに君臨していた大学のさんばんとななばんが、今、ユニフォームを青から黄色に変えて、やっぱりさんばんとななばんなのである。その頃、こんな文章を書いていたんだ(2013)。

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その後わたしもとうきょうでめいっぱい見た全カレの年であった。東海札幌の、2年の間、最高学年を務めた代だ。東海札幌は前年のベスト16でシードされ、木曜から登場した。金曜に、関東1部の中大を破ってベスト8に進出した。

ダービーでは、コートにいた方々はもちろんだが、コートの外でも、このあたりのことを思い出させるなにかを、いっぱい感じられたのが、非常に嬉しかった。なんつーんですかボクココデイキテルンデス的な。

余韻があるんだかないんだかといううちにことしの全カレが始まっていた。ことしは、ほぼリモートマッチである。そして、UNIVASによる渾身の配信は続いていたのだが、ほぼ追えていない。せめて、東海札幌と仙台大のフルセットくらいはちゃんと見たいのだが、まだである。仙台にも北海道のひとが少なくなかった。

そしてある日思い出してしまったのである。「あの決勝」から、もう10年経ってしまっていたことを。

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明後日は、電撃的にヴォレアスの一員となった、渡辺俊介の初戦になるのである。

あのとき遣っていたカメラにワンポイントリリーフを託すことにした。

 

追記:

というかさー。なんでこれ書かずに文章終わらせられるわけー。明日3決、ご武運を祈る。

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*1:メモリカードを忘れた、近場で調達しなきゃ…と思ってかばんを見たら財布を忘れていたなどととてもじゃないが口にできない

昇格云々を考えるに際してのちょっとしたメモ

ああこりゃどうなるんかね~、と、2週後に迫った北海道ダービーのことを考えつつ、地元のニュースに触れる。会場そのものは、きちんと対策を施しながら試合がおこなわれるわけで「規制」の対象にはならないはずなのだが、それはそれとして「そこに行く」ことへの重力がけっこう出てきそうだ。

急に何かが変わるわけではないにせよ、序盤で街がこの状況になっているのを鑑みると、リーグそのものの幕がおりるまで、おりるように、ひとつひとつ観る者も積み重ねていかないとならんのだろうということは、考える。手を洗いましょう、マスクしましょう、密を避けましょう。結局そこに行き着くのだろう、と。

この稿、それを書きたかったわけではない。結局「自分がどーしたからといって周囲の情勢が変わるわけではない」というもどかしさが、どうしてもついてまわるのがコロナ禍であると考える。呼びかければいいというのもちょっと違う。

前シーズン、あれだけ勝ちまくったのに「悔しい」しか云わないチームを見ながら、そしてそのチームがあくまでもこのリーグを「通過点」と見ているのをある種複雑な気持ちで見ながら、このリーグの顛末について思いを寄せてしまう。

そういえば、ヴォレアス北海道の「前季末」についての記事の中に、今後に向けての提言を進めた下りをまとめた。鷹栖は雨だった。

Vリーグの全チームと、昇降格制度の大切さについて共有し、議論のきっかけを作れた

ヴォレアス北海道、2020-21シーズンもV2「決意」 シーズン報告会を実施 | バレーボールマガジン

これが6月末で、議論の末に「明文化」がされたものが機構から提示されたのが8月末だった。

緊急時対策規程 第7条 (4)
〔大会の再開と打ち切り〕
不可抗力により、予定されている公式試合(V・ファイナルステージおよびV・チャレンジマッチを含む)の開催が不可能であると判断された場合は、理事会の決定により大会の打ち切りを行う。大会の打ち切りによりV・チャレンジマッチの開催を中止した場合は、DIVISION間の入替は行わない。

規約・規定の改定について|バレーボール Vリーグ コーポレートサイト

つまり、「前季末」のような事態になったときには入れ替えの余地は無いことが、あらためて明文化されたのだなと。そう解釈してそのときは読んだ。正直なところアチャーと思った。このタイミングでの明文化なのかと。「総意」がどの方向に向かったのかということをしみじみ感じた。

だからこそ今の情勢や開催ができるかどうかという状況が、「今季末」にどう作用するのかということについて、先回りして考え過ぎがちである。いくらチームが「これ以上ない着地点」を求めて戦っても抗えない状況になった場合に、それはどれだけの力を以て迫ってくるのだろうということを、どうしても考えがちになる。

どう戦うのか、どう勝つのか、どう修正していくのか。ということをひたむきに考えていられること、それが、どれだけかけがえのないことか。昨日の長野GaRonsの戦い方がたのしかったなあ。旭川でぐっと楽しみが拡がって、今季はもう生では見られなさそうなのは、そこそこ残念なことではあるのだが、それこそ「その気になればV.TVで見られる」というのは今季のええところ*1なのかもしれないしだ。ひとつひとつ立ち向かうチームが、どんな対策をそこにぶつけていくか。首位攻防戦(と考えられている、昨季の相星対決)は2月まで無いけれど、そこに至る戦いの中にもひとつとして意味のないものはないのだと思っていたい。

なお、緊急時対策規程にはその後、もうひとつ改定が入っていた。リーグの成立条件が、75%→50%になっていた。あとは、規程がどうじゃなくて、その規程をもとに、どう運用するか、というのも、これからの鍵になるのだろうなと。

いやその前に対策と情勢が収まることだ。うーむ…

*1:田中さんええこと言うなあと思いましたデルフィーノ初勝利おめでとう