……でも えんぴつでかいたから
昨日は参議院議員選挙の投票日だったので、近所の中学校(母校ではない)まで歩いて投票しに行った。
選挙についてのよしなしごとが(候補者自身によるPRを含め)SNSで展開されるようになってから、ひとしきりの時間が経っているけれども、個人的にはまだその状況に馴れない。SNSの中で為された語りの中に「投票って、推しの名前を書きに行くものだ」とか「比例代表は推しのチームを書くようなものだ。あ、個人推しならその推しの名前を書いてもいいんだぜ」みたいなのがあったのだが、個人的にはうーむと思った。投票場に行って投票用紙に何かを書けるようになって久しいが、恐らく推しがいない状況のほうが多いんだぜ、推しがいなかったらその場まで飛んでいかない、というのは、普段の営みの中ではよくあることであって、投票場に関してそれを正当化してええのかという疑問は、そりゃ残るわけである、のだ。たとえ推しがいなくても、推しチームが無くてもそこに行って何らかの意思表示をするのが投票という行為なのだと思うのだ。
というわけで、オールスt…ちゃうちゃう、暑くなりかけた時間帯に投票して帰ってきてから、わたしはおもむろに紙と鉛筆を取りだしたのであった。
大学ノートの裏表紙に さなえちゃんを描いたの
一日中かかって いっしょうけんめい描いたの
でも 鉛筆で描いたから
いつの間にか消えたの
大学ノートの裏表紙の さなえちゃんが消えたの
もう会えないの もう会えないの 二度と会えないの
初めてこの曲を聴いたのがいつだったかはすっかり失念してしまったが、いつだかの朝に、ラジオで聴いたのが初めてだったかなという記憶はうっすらと浮かんで来た。
会えないの感覚はちょっと違うかもしれないが、そのときに描いた「それ」は、そのときそのときで、一期一会なのかなということを、最近とみに思ったりは、まあ、する。
一日中かかっていっしょうけんめい描く、という感覚を、ほんのりと思いだしたのである。投票から帰ってきて、一回昼寝して、起きて、開票速報を聞きながら、地元の情勢は落ち着いたところで、また、いっしょうけんめい描き始めていたのだった。
でも会えるよ。また会える。だけどね。この曲、すごく、いい曲だと思うんだ。
だから消えないところに描くよ。大学ノートの裏表紙って、すげぇ危険だからさ(今シゴトバでつことるのは、ツバメノートなのだよ。これの書き味、すごくいいのだよ)。