/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

キャプテンハマサキに圧倒され、2018/19のサンガイアへ過熱する

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つくばユナイテッドSun GAIA(バレーボールチーム・現V2リーグ)というチームが出来てからこのかた、その場に赴くときにはサンガイア愛を忘れずにお持ちくださいの合い言葉に従ってお持ちするのではあるが、そのときそのとき(なにせ10年以上経っているのである。あっもうすぐ15年もみえてきた)によってそれなりの温度差は発生していた。

転居等もろもろの事情があって、若干サンガイアからご無沙汰していた2013/14シーズン(加藤陽一選手ラストシーズンでもあった)に「ことしのサンガイアは是非見て!」と言われギリギリのところで飛んだつくばカピオでの大会で、わたしはコートの真ん中にいる背番号2に(気がつけば)釘付けになり、それ以来、そもそもご贔屓はチームなの選手個人なのみたいな勢いでがーっとハマっていった(はまさんだけに)。

はまさんこと浜崎勇矢選手はことし7月、実に4シーズンぶりにサンガイアに戻ってきた。背番号は、初めて見たときと同じ、2番。当初は(やっぱり)チーム最年長選手として、キャプテン池田副キャプテン瀧澤の90s(サンガイアの年代的にボリュームゾーンだが)をふんわりとサポートするようなポジションになるのだとばかり思っていたが、この発表がおこなわれた直後、サマーキャンプあたりから雲行きが怪しげになり、8月の留萌合宿に来た折にはすっかり選手代表以上の立ち回りになり、ついに9月に入って、主将になってしまった。この表現にはいろいろ語弊があると思われるのだが、この時点では、あれれりゅうさんどうしたの、というのも込みだったし、まだ、はまさんがキャプテンで、というのが、イメージしきれていなかった状況でもあった。

サンガイアに遅れること1日、11月11日、霞ヶ浦で、わたしの観戦シーズンも開幕した。富士通戦。結果は、もうちょっとーーー、だった。取れる点、取れるセット、あったのだろう、しかし、もう少し、だった。

ただ、その試合の中で、改めて、キャプテンの立ち居振る舞いに、すっかり胸を熱くしていたのだ。スタートからコートに立っていたわけではなく、まずはマスコットボールを持ってコートに出て行くスターティングメンバーを力強く送り出し、それから、局面局面で声を出して指示をしたり、タイムアウトではそのときそのときにキーになる選手にこまめに声をかけに行ったり。キャプテンにもいろいろなスタイルがあるのだとは思うが、コートに立たずに出来ることをまんべんなくやっている、むしろ、コートに入らないからこそ見えているところも、ちゃんと伝えているんだろうな、そんなふうに見えた。

(↑あれっセット間だっけ)

若い選手が多いサンガイアのコート上に、ひとしきりのパワーを伝えているのだということ。始まる前にそこをたのしみにはしていたが、たのしみにしていたレベルを超えてきてしまっていて、圧倒されてしまって、これからどうしようと思ってしまうくらいだ。

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その一挙一動を見ながら、思い出していたことがあった。3シーズン前、2015/16シーズンの終盤、大分でおこなわれた、大分三好ヴァイセアドラーのホームゲームの折に伺ったひとことだった。

「1日1回は全員と話す」

はまさんは、2014/15シーズン限りでサンガイアをいちど退団し、大分三好ヴァイセアドラーに移籍していた。大分三好は同い年の木場田主将(現・久光製薬スプリングス・コーチ)が正セッターだった。はまさんはリリーフサーバーで出場することが多かったが、その傍ら、かなり若いチームになっていた大分三好を支える立場でもあった。はずだった。というか、そう思っていた。

わたしはこのシーズン開始当初に、是非このふたりでセッターを語るところを聞きたい、という思いがあって、バレーボールマガジンを通してその企画をお願いしてみていた。結局それは実現して、ホームゲームの直前に取材して記事にしたのだが、正直なところ、その立ち位置は、企画構想がはじまったときと微妙に違ってきてしまっていた。大分三好はそのシーズン、現在主将を務める高山選手をはじめ、おおくの大学生選手を内定選手として受け容れた。そのうち高山選手とセッターの藤岡選手が年明けの桜大会(くしくもサンガイア戦!)からスターターとして出場した。年明けのこの「奇襲」を機に、はまさんはベンチをあたためるどころか、遠征に帯同してこない人になってしまっていた。

大分のホームゲームでも、所謂戦いの舞台から半歩くらい下がったところから戦況を見つめるような立場になっていた。予定通りおこなった取材の時に、実は、どんなふうに構成出来るのだろうかと心配した部分はあった、そこではまさんから飛び出した言葉…今、自分の記憶にぱっと再生された言葉があったのだと。

ちょっと長いが、その折の周辺のことばを、そのときの記事から引用する。

浜崎「下の人間はまっしろな状態で入ってきたわけで。僕たちも最初はまっしろで、途中でいろんなこと書き込んで、こうやって勉強というか成長できている部分はあると思うんです。その部分を、伝えられる伝え方というのが、組織の中でも難しいなというのがあって。
伝わりやすくするために、僕がずっと心がけているのが、1日1回は全員と話すとか。心がけてはいたんですけど、まあ、難しいですよね。伝えるのって。ひとを変えるのって特に難しいじゃないですか。そこは自分で変わってほしいし、僕らは仕事しながらバレーボールしているわけで、仕事もバレーも100%でしないといけない。どちらかがおろそかになってはだめだし、応援してくれる人も患者さんでいるわけで、そういう人たちに「あの子はだめだ」とか言われると僕も心痛いですし。言われないためにやるわけじゃないですけど、人として最低限のこう、ひとになれるように僕らも声掛けしていかなきゃならないというのは、日々感じながら、生活しています」

セッターとして、チーム最年長として-木場田和希・浜崎勇矢 | バレーボールマガジン

 

今になって改めて記事を読んで、なんというストライクの連鎖じゃ、と思ったのだが。ちゃんとこのひとのなかでは時系列にいろいろな経験が繋がっていて、ちゃんと積み重なったところがその先に伝わっているのだと、胸が熱くなったのだ。尤も、この言葉を聞いた当時は、熱く、翌週に控えたチャレンジマッチにむけての抱負をも語っていたのに、大分三好がいざ乗り込んだ、茨城・ひたちなかでのチャレンジマッチには、やはり帯同してこなくて、ああ、チームのあれやこれやがちゃんと見えているひとが、なぜここにいないんだ、敗戦の責任を背負い込んだようになってしまったキャプテンが、なぜここでひとりで泣いていなければならなかったんだ、ということについて…延々と考え込んでいたものだった。昨日今日見始めた状態(当時)のチームに対して深い考察はおこなわない方が吉だったのだろうが、どうしても…

あああああああああああ回想シーンはそこまでだっ!

いろんなことを経ての今である、ということである。要するに。

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だから、今シーズンは決めた。ひとつでも多く、このキャプテンに圧倒されて、チームの展開するバレーボールに引き込まれ、進んでいきたいと。幸か不幸か、ずっと見る者としてのこちらのパワーもマグマのように溜め込まれていたから、あとは放出するのみだ。

だから、いろいろなちからをそこに集結させて、おそろしく熱いサンガイアを、ひとつでも多く、見たいのだということである。過熱したいのである。わたしは、今季、そういうひととしてそこかしこで蒸気を噴き出していることにしたのだ。

なので、キャプテンハマサキと愉快なサンガイアが、このシーズンを、無事に、ちゃんと燃えさからせていられるように願うのである。みんなげんきで、げんきでね。

そして、やっぱり足りない

キャプテンマークはどこへ行ったのだっ!どこへ行ったのだっ!え、食べちゃっただと?ぼりぼりぼり。

ひとつだけ追伸に替えて

あの2年前の、大分三好のチャレンジマッチを、そして、その直後のファン感謝祭直後にあった「発表」を、わたしは消化できていなかった。だからこそ、だからこそというのは語弊があるのだけど、はまさんと入れ替わりではない状態でのりゅうさんを見たかった、そういう思いは、どうしても自分の中では消えていない。移籍規定の関係で、それぞれにあった空白の「あの時期」と「その時期」を経て、ずっと、たのしみにしていた。それだけを、片隅に、見えるように、書いておく。