/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

往来と情報とタイミングについて

台風21号がえらいことをしでかしてくれちゃったみたいで、ほんとうにお見舞いを申し上げます…と関西方面を向いて拝んでいたら、ヤツは温帯低気圧になったあともいろいろと悪さをしたようで、札幌周辺もたいへんなことに…ことばがないとはこのことである(個人的にはだいじょぶです)。

最近思ったことを、ざっくりと書いてみる。

いろいろな場所に行って、何かを見たり聞いたりする。見たり聞いたりしたものごとの中で、写真に撮ったりメモしたりしたことのすべてが、衆目に伝えることができることではない、ということに、しばしばぶち当たる。具体的には、あるチームがあったとして、その「チーム」は、どのようなひとびとによって構成されているか、ということである。

それを見ているのが、日頃からそこに深くタッチしているひとたちだけであれば、まだまだコントロールが効く。まだその件については公になっていないので、扱いには注意してください、ということばが通じる。なぜならば、どこまでが公になっていて、どこからがまだデリケートな情報であるかを、そこに居合わせた者が把握しているからである(ここ1年弱、けっこうそういうことがあったなあ、と、遠い目になったりはする)。

ただ、そこに居合わせる可能性があるのが、事情を識るひとだけではない、不特定多数である場合、情報をどう扱って欲しいか、握っている側(具体的にはチームサイドとか)が、ちゃんと、どうして欲しいかをアナウンスしないと、どうしてほしいのかわからない。さもなくば情報を得た側が「どうしたいか」ばかりが先行してしまうことになってしまうだろう。キニナル向きは気にするだろうが、それは本来であれば、気になった側がキニナル旨を表明する前に、ちゃんと、握っている側が意向を表明するなり願うなりする必要があることなのだ。

尤も、情報を持つ側が、どういうことが予測されるから、どうしたらいいのだと把握して、発信するようになるには、いろんな経験値が要るのだろう。たぶん、これから、あたらしいリーグを迎えていく中で、各チームが感じて、積み重ねていかないといけないところなんだろうなと。そんな気がしている。受け手がどういう情報を求めているかとか、状況や受け手の立場によっても違うのだろうし、というところも、徐々に、なのかなあと(それを思ったのは、留萌で、午前中のバレーボール教室が延びて、午後の予定がずれるということの情報の拡散しかたを見てだったなあと)。

受け手が何をどう受け止めたか、ということについては、些細なことでも、伝えていく必要があるのかな、そういうことを考える、この頃ではある。