/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

またね、とは、言えなかった。

駅にそびえる大きなビルに「3周年」の表示があった。ああ、そうか、3年か、と思った。初めて(ほんとうは、初めてじゃなくて、かなり久しぶりの)この場所に降りたとき、その大きな一群は工事中で、もうすぐ駅ビルができるのだと聞いた。

2014/15、V・チャレンジリーグの終盤、コンパルホールでおこなわれた試合。前の日の遅くに入って、体育館の端に緑色の横断幕を張らせていただいて、ああここが大分でなどと言っていたのだった。応援している選手が、かつて所属していたチームのある場所で、そこと対戦するのを見に行く、というのが「初めて」の時のことであった。

それから何度訪れて、何度そこに心の起伏が在ったか、数えようとしたら数えられるのかもしれないが、あえて数えない。そのシーズンの終わりに伝えられた移籍の報を機に、わたしの住む処からは遠く離れたこの地が、さらに、さらにだいじな場所になったのだった。

以降のことは、五月雨式に思い出されるのだが、書き始めると収拾がつかなくなるので、ほどほどにしておく。たとえば2016年の最終週など、と、キーワードを小出しにしつつ。

終わったばかりの2017/18シーズンについて、わたしは大分で試合を見るということをしなかった。当初開幕週に行こうと思っていたが、突然のしらせをどう受け止めてよいのかわからず、その週は急きょ別の場所に振り替えたのであった。そのとき乗るつもりだった、成田から大分へ向かう便は、同じ方面であればほかの日に振り替えられるプランであったため、いつかどこかのタイミングに切り替えられればと思っていた。シーズンの終わりはチャレンジ2の旭川と重なっていたのでもともと行く予定もなくて、結局ファン感謝祭に行くということにした。たぶん、この大分行きが、一区切りなのだなという感覚込みで。

f:id:dhalmel:20180414150056j:plain

ファン感謝祭、というのは、チームがファンに感謝するとして催すイベントということであるが、ファンもまたチームに感謝しにいく日なのである。そして、ファンにとっては、精一杯チームや選手にその思いを伝えられる日なのである。

リーグの再編成も相まって、この場は、再びいちばん上のカテゴリで、戦うことになるチームの門出としての役割も兼ね備えていた。

遠くから、見守るように見る、わたしにとっては、そんな時間だった。

たぶん、見るものとしての自分と、この地と、このチームとの関係性は、変わっていくのだろうが、変わったら変わったなりに、これからも、石…じゃなかった人垣の陰から、気にかけていくのだろうなと、あらためて思った。あたらしいシーズンは、わたしが見ていたのと、違う意味での、難しいものが溜まっていくものになるのかもしれないが、それでも、ひとつひとつを突破していけるような、若さとひたむきさがそこにあればと。

ちょっと遅かった感もあるが、わたしにとってもそれが区切りだ。ひとつの区切りだ。大分駅をあとにしたときに、不覚にもなにかが零れた。

じゃあ、またね、とは、言えなかった。