/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

輪廻の中に取り込まれる

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春高は、きょう決勝戦を迎える。

序盤の2日間現地に赴き、その後ちょこちょこと(この時期やっぱりフジテレビNEXTは欲しくなるけど追加せずにことしも現在に至る)試合を視聴して、あるいは年が明ける前に行った、同じ場所でおこなわれた天皇杯を思い起こして。ああ、そこに、バレー「界」というものがあって、一連の流れが、さまざまなあたらしい人をその中に巻き込みながら、取り込みながら、ぐるぐるぐるぐるとまわっているのだなあと、しみじみ感じた。

バレーボールを見始めて、雑誌を買って読むようになった頃(雑誌の購読、その頃よりも減ったなあ)、主に高校バレーの名将とか名物監督とか伝統校とかの特集を読むことが多かった。その頃に取り上げられた「名将」には、後進にその座を譲った方が多いんだなあ、現役時代の記憶があるひとが、その「名将」のあとを継いでいる事案が、ほんとうに増えた。春高の序盤、ほんとうにおおくの学校を目にしながら、その学校のカラー、そのチームのチームカラーというのは、どんなふうに出来ていくのかなということを、不意に思った。其処に入った選手の特徴からなのか、監督の意向や方針からなのか、いや、それだけでは括れないんだろうなあ。なんだろうなあ。と。

やがて選手のうちの何割かは、高校生ではなくなってからもどこかでバレーボールを続け、そこから更に年月を経て、プレイを主とする立場からは離れていく。わたしがいつかプレイを見ていた、そういうひとたちが、監督やコーチ、あるいはスタッフになっている。父兄として応援席にいる場合もある。ちょっと広角、東京体育館3階目線くらいからで見ていると、それこそ、ああ、そのひともバレー「界」のなかに、すっぽり取り込まれて入っていっているんだなと感じそうになったが、あ、あれ、選手としてそこに在って、年月を経ている以上、既にバレー「界」の中にいるんじゃないのか、とも思った。なんだか不思議な感覚だ。

そして、きょうも、あるいは、明日以降、春高を離れたどこかでも、バレー「界」の中で繰り広げられるものを、その外郭にひそやかに取り込まれながら、わたしも見ていくのだろうか。

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