/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

岐路と、そのあとのこと、そして今。

週末に大分に行って帰ってきて、無謀にもイベントレポート記事を目論んでいるわたくしではある。
ちなみに、ン回目の大分、場外編は、「CITY SPA てんくう」とか、上野の森の大分市美術館とか、車で連れだしていただいた耶馬溪とか、帰り際の空港での椎茸うどん(椎茸巨大で)とか…。おいおい、噛みしめてみたいことは、いっぱいある(巨大な椎茸がジューシーだったなあ。うむ…)

大分から帰ってきてから、こちらの記事を拝見した。浅野の復活を見届けて引退を決断 大躍進の功労者、ジェイテクト・高橋和人 | バレーボールマガジン


不意に思い出したのがこのしゃしんだった。大分三好ヴァイセアドラーのファン感謝祭で、会場となった大分三好シュポルトハレの一角に、「歴代所属選手」がずらずらと貼られていた、その一部。

僕は正直上げちゃったチーム、身だったんで

浅野の復活を見届けて引退を決断 大躍進の功労者、ジェイテクト・高橋和人 | バレーボールマガジン

思えば、わたしはずーっと「そちら側」で見ていたんだなぁと、改めて。かつて、ジェイテクトV・チャレンジリーグにいたときのことと、大分三好V・チャレンジリーグにやってきてからのことを、不意に、交互に思い出した。入れ替わらないことの多い男子プレミア-チャレンジ間で、近年唯一入れ替わった*1事案。プレミア、という存在のおおきさと重さ、そして、見る者としての自分にとっての遠さ。

「そのとき」に自分がどう感じていたか、ということは、たぶんそのときの自分を思い出しても語りきれない。もうひとつの組み合わせの結果に対して、そしてそのとき見られた手法に対して、さらには遠くから見ていたスタンスに関して、深く深く考察を重ねた、そういう時期ではあったのだろうとは、思うけれども。
でも、語れることなど、思い起こせることなど、そんなにない。

大分三好のファン感謝祭で、プログラムの最後におこなわれた退団選手の挨拶。そこで、改めて認識した。わたしの目の前の、そして、わたしの横の、それぞれにとって、それぞれに刻まれたものがあって、それを含めて「今」が形成されていて、今、わたしがそこに目を留めていることを。

プレミアを見た記憶に乏しいわたしにとって、ダイレクトに思い出された高橋和人の記憶ってのが、実は2006年の東日本インカレだった。持ち回り、きたえーるで開催された回で、当時東京にいたわたしは、かなりギリギリの日程で帰省して、終盤だけを見たのだった。所謂華の84組の4年次だった。ただ、同じタイミングでパンパシなる国際大会が開かれていて、そこに出場していた4年生も少なからず、そんな状況の中で、背番号9でキャプテンマークをつけての出場であった。そこから10年以上、それぞれの局面で、それぞれのカテゴリで、希有な存在感を見せつけていた選手だということを、改めて、しみじみ、感じ入る。主に、ネットの向こう側からとか、遠いところからとか、テレビの前でとか、そういうところで見ていた記憶を断片的につなぎながら。

*1:2008/09のFC東京は昇格したが、大分三好も残った