/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

初めての

初めてだというのは、意外でもあり、意外でもなく。

選ばれたとか選ばれなかったとかそういう話はあんまり得意ではないし、それについてナガバナシをするつもりもない。ただ、なんというか、その中で、ひとつじわりと来たことだけを、ひとつだけ、書き留めておこうかなと思った。

2017年度全日本男子チーム 選手・監督・スタッフ|全日本男子|JVA 日本バレーボール協会

そのひとはわたしのなかでは常に「すげー」なのだ。大学の頃は名前がポジションだとさんざん言いまくり、たぶん岩よりも堅いと思っていた9冠チームの牙城を崩した、大学最後の大会の折も、細かいことは何も憶えちゃいないのだが、ただただ唸りまくっていたのだ。
その思いは、本格的に違う色のユニフォームを着始めても自分の中で持続しているようで、よくあるじゃないすか。出来すぎるから、すきとか愛おしいとかそういう方向には行かないけれども、唸ってる、そんな存在って、あるじゃないすか。

昨年初夏に、とある指令を受けて、バスで丘をのぼったときも、そういう気持ちだった。というか、実際に目の当たりにして、更にその思いが増したのだった。少年に見本を見せるその姿、ことばで少年の心を掴むその姿、気心知れた旧友とふたりで中学生6人に対峙する姿、痺れるなんていうものではなかった。その頃フリースタイルバスケットボールを見る機会があったからか、わたしのめもには「フリースタイルバレーボーラー」という走り書きがあった。様々な角度から、バレーボールの魅力を全力で顕し、見る者をただただ絶句させる。そのひとが、そういう存在であることを、改めて思い知らされた(繰り返すが、だからといってオノレの心を全力で掴んで日々の何かになるかというと、それはまた別の次元の問題である)。

これまで、「その」俎に乗らなかったことが、意外であり、実は意外でもない、のである。たぶん、選ぶ側が、何かを持てあましていた、そういう側面はあったんじゃないだろうか(へんな意味ではなく)。
初めてだから、どんなことになるのかわからないけれども、ここまで引っ張られた以上(引っ張られた、という表現自体が、何かを期待していた裏返しなのかなと)、オリンピック当年という非常に大事なこの局面で、きっと何かが、そう期待せずにはいられないのである。それがプレイタイムであろうとなかろうと、きっと何かを…。

江別の駅に懸垂幕を撮りに行ける、そんな感じの未来があったらいいな。そのひとをたのしみに待っていた、いろいろなひとの顔を思い出しながら。

参考

さきほどのしゃしんを撮ったのこのときでした→ 新主将に聞く – 東レ渡辺俊介選手 – | バレーボールマガジン