/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

5年後の金曜日

いろいろなことを断片的に思い出しては、それから1週間くらいあとからじわじわと響くいろいろなことを思い出しては、しみじみと潜り込む。そういう日なのである。久しぶりに金曜日が割り当たった。誕生日の人の誕生日はちゃんと祝いたい、そんな気持ちのする日である。

たぶんこれを書いているくらいの頃に、シゴトバから自宅に帰着した。かなり遠回りもしたと記憶しているのだが、普段1時間くらいの通勤経路を、6時間くらい歩いて帰った。いろんなところにいっぱい人がいた。これから何がどう起こるのか、たぶんそれぞれに想像だにしなかったからか、道中の居酒屋にもひとがいっぱいいた。たぶん「えっ」と思ったのは、新宿あたりでオーロラビジョンを見てからだったのかななどと(時が進んだら、真っ先に節電のため消えたアイテムである)。

シゴトバから帰る道すがら、実家に電話をかけようとしたのだが、携帯電話の通信網が混み合っていて、か、なかなか繋がらない。3時間くらい、何度かリトライして、ようやく電話が繋がった。そのとき語った相手は、思いと思い出の中の人になってしまった。そのあたりのことを、ちょっと前に、フライング気味に、思い出していたんだった。

あのときの「関東の人間」というのは、非常に微妙で、非常に複雑で、非常に落ち着かない何かの中にあったような気がする。今でも、選びすぎると言葉が出ない、そんな感じになっている。あのときの感覚を、じんわりと、じっとりと、思い出すことがある。へんな脂汗をかく。様々な理由で、当事者ではないと言い切れない、そんな感触もあった。それぞれに背負っている何かが、ひょんなことで爆発することもあった。実際爆発したのを見た。そして、見ているだけのひとではいられなかった、そういう要素は、自分にもあった。

そのときいた職場は、「こういうときだからこそ」世の中に役立つために(事業を)しよう、と、ひたすら前を向いていた。週明けの月曜日、いつもより早い朝礼の招集があって(電車が動いてなかったので間に合わなかった。それ以前に、メールを受け取れなかったので知らなかった)、その場で更に気合いが入れられた、みたいだ。その後も、ずっと…。世の中のためになること、そのことは素晴らしいことだと思うのだが、たぶん、その職場の中のそれぞれの人間の、それぞれが背負った背景などには一瞥もくれられなかったのだろうと思う。気にしてくれではない。ただ、どうしても、その時のことをどうしても思い出して、もやもやするところはあったのだ。

先日ラヂオつくばのサンガイアステーションに新人こばりーさんが登場した際に(その週末、大分で大活躍したわけだが)、5年前のカピオでの試合前日の話になっていた。わたしは、次の日朝早くつくばに向かって、試合を見る予定だった。そこから5年…チャレンジマッチが視野に入っていたサンガイアが、そこからの5年をどう送って今に至っているのか、そのことに思いを寄せてしまうところは、やっぱりある。

いろんなことが大きく変わった。それを、年々思い知る。きょうの「その時間」、わたしは会議中で、そのあともいろいろな対応に追われ、帰る頃には「あ、今頃歩いていたな」だった。