/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

「セッターが仕事をさせて貰えない」

ワールドカップバレーが開幕して久しい。現在、女子の終盤戦。
開幕はちょうど遠出の折で、暫く落ち着いて見られなかったので、実際わたしがテレビで見ているのは女子大会の中盤以降から。
テレビ中継は主に副音声で見ていて、副音声はけっこうおもしろく聴いているのだが、ひとつだけアタマに引っかかったことばがあった。

「セッターが仕事をする」ということば。主に「セッターが仕事を出来ない」「〜させて貰えない」というような感じで遣われていた。
最初、どういう状況か、腑に落ちなかった。試合中、展開によって仕事の種類が変わるだけで、仕事が出来ないというのがどういうことを言いたいのかが、よくわからなかった。

何回かそのことばが発せられているうちに、この文脈でいう「仕事」というのは、アタッカーとして誰を「選択」するか、という、その部分に限定して言われているのかな、と思うようになった。それもひとつの要素なのだろうとは思う。しかし、選択の余地がないような状況だからといって、それは「仕事をさせて貰えていない」状況なのか…その時点で、打つひとが、最大限そのパフォーマンスを出し切れるようなセットを供給すること、そこに「仕事の内容」がさっと切り替わる、だけなんじゃないだろうかと。

20150808|Ibaraki(TUSG&More)-HokkaidoUnivStudents

試合に出ているセッターには、その局面局面で仕事の内容が目まぐるしく切り替わる、その切り替わりにどう対応して、ひとつひとつのことを、納めていくのか。ここのところ、それを見るたのしみ(もちろん、それは重みとくるしみの裏返しであることは多いのだが)を、じわじわと感じているのだ。まだまだ、わからないことだらけなのだけれど。

さらにいうと、試合に出ていないセッターにも、また、別の仕事があって、その仕事の奥もふかいのかもしれない。そう思っているのだ。

男子のワールドカップメンバーが発表になった。テレビをみるたのしみが、そこにもある。→いろんなことを、心からごっちゃにして書く。 - /ja あやつる YmrDhalmel