/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

かわるということ

前のエントリを書いたときに思い出したことがあった。

あのとき、あの場所に集まっていたひとたちが、がらっと入れ替わったんだろうなと思う。入れ替わったあとのほうが、賑やかになったんだけど。

わたしが、興味を持ってじわじわとその場に足を踏み入れようとしていたときに、出会ってとてもたのしく見ていたコンテンツがあった。すごくすきな絵と文字だった。これからも見たいなぁ、と思っていた。
しかし、わたしが興味を持ったきっかけというのは、わたしばかりではなく(そのこと自体かなり珍しい事案ではあったのだが)、所謂「ブーム」に属することであったのだ。ずっとそれを見守っていたひとにとって、衝撃的なおおきな変化が、そこにあったんだろうなと思う。

変化が起こりきってしまったときに、たのしみにしていたコンテンツは見られなくなった。

Jリーグが立ち上がった頃のことだ。
その後しばらくの自分にもたさられた日々は、いくつかの勘違いを伴いながらも、非常に充実していたものだった。ただ、折に触れて、あのひとならどうかくのだろうな、と思っても、それを見るすべはなかったのだ。そのコンテンツのかき手は、その前身から過渡期にかけて、わたしが応援し始めていたチームにいた選手の贔屓だった。そして、その選手とおなじくらいのタイミングで、どこか遠くに行ってしまった。
そして、時期はちょっと前後して、その選手の同郷で同窓だったという方と知り合って、その後わたしがその場を離れるまで、その方には非常にお世話になった。応援するきっかけはその選手の存在だったという。ほんとうに、何がどう繋がるのかわからないんだな、と、今になると思う。

かわることは悪いことではないのだし、むしろそれをよかれとしてかわろうとするのだろうが、そもそもそこにいたひとにとっては、手放しでワーイと喜べることではなさそうである。そして、あのときのわたしのように、あたらしくそこに加わろうとしているひとにとっても、100%がワーイではないのだなと。

かわることも、かわることに抵抗感をもつことにも、かわることを望むことにも、それぞれの理由があり、そのひとつひとつについて、ある一定の敬意はもっていたい。そう思うと、からだが何処にも動けなくなることは、ままあるんだけど。