/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

もう、次のシーズンが始まっているけれど、さきのシーズン終わりの記憶と共に。

朝一番だけ出勤する必要があって(それで東日本断念したともいう。今日の決勝おもしろそうだったなぁ…)、ここ数日と同じようにまどろみながらワールドカップを見て、それから出勤して終わって昼前に帰宅した。
ひとつ準備を進めている件があって(FB版に書いた)、その作業を進めているうちに、あっ、録画していたんだった…と気がついて、 朝放映されていた、BS-TBSの「裸のアスリートII」(あるいはこちら加藤陽一編の録画を紐解いた。

20140330|OitaMiyoshi-TUSG

※実は来週、6/29の9:30〜にも、同じBS-TBSで放映されるようである。なので、以降、少々たたむ。
30分のうちほとんどが、今(というか、つい最近、ちょっと前=黒鷲=まで)の加藤さんを追う内容だった。つまり、サンガイアの「看板」としての加藤さん。わたしは黒鷲直後にこんなふうに地団駄を踏んでいたのだが、却って、これだけ時間が経ったからこそ、掘り下げられたんだろうな、そんな気はしていた。

その頃の加藤さんがした決断を知らぬ状態でその場に佇んだ、刈谷の2日間。そして、そのあとの黒鷲。今思い出し、画像で振り返ってしまうと、しばし言葉をどこかへ置いて行ってしまいそうになる。思い出しても、もう過ぎたことである。思い出して出来ることは、あんまりない。せいぜい、ちゃんと憶えておくことくらいだ。そう思った。

番組の中で、「2004アテネ最終予選*1のために帰ってきたときのこと」が語られていたが、それから10年経って、今、どうなのだろうか。どうしても越えられないものがうごめく場所は、どんどん拡がってしまっているのだろうか。ワールドリーグを俯瞰しているとそんな感想を持たざるを得ない*2が、そうじゃなくて、この国の中に、加藤さんと「同じベクトル」を共有する場所も、ちゃんと出来たんだろうと。

そう考えると、あの刈谷の2日間も、かなしいことばかりではない。

サンガイアはこの日曜、福島・南会津にいた。今シーズンが、じわじわとスタートしている。それをFBで眺めながら、テレビに映る映像によって、さきのシーズンの終わりを思い出して噛みしめながら、手を動かしていた。それが、この週末のわたくし…だった。

余談

「何か」が終わってしまったけれど
それは同時に「何か」が始まって
「始まり」はいつでも怖いけれど
だからこそ「僕ら」は手を繋ごう
We are with you

SEKAI NO OWARI 「Never Ending World」

ピエロさんを見て気になって聴いて気になった歌詞。なんだかぐるぐる。

*1:その頃のわたしは「テレビでやってて見てた」程度だった。

*2:そのときの越川がどうしてたんだろうとか、今越川がどう感じているんだろうか、とかは、ふと思った