/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

行き交う場所で

前エントリから実にいろいろな方にお世話になっている。この場を借りて書いてもあまり伝わらないかもしれないが、全力でお礼を。

それにつけても感じ入るのは、つくばに出発する前のテンションとその後に向けてのココロの動きについてである。来ると言われていた大雪も手伝って、前日に飛んだJetstarの待合所で何度も何度も「キャンセル出来ないかなぁ〜。出来ないからなぁ〜。出来ないからここにいるんだよなぁ〜」と考えてしまっていたとか、行って帰ってきた直後にすら「行って良かったってじわじわ思うのかなぁ」などと微妙なテンションでいたとか。今考えたら笑ってしまうのだが、ぃゃぁカピオってこわいねぇ。半ば「バレー見に飛ぶのはこれっきりにしようかな」と思いながら、それでもいろいろな人に会いたかったりいい試合が見たかったりで思い出のいっぱいあるカピオに行く〜という感じだったんだがね。

必要以上に前置きが長くなった。

言うまでもなく、個人的には毎年12月にどーんと降下する。そうなるとわかっていても、見納めってやっぱり響く。さきの全カレでは強烈に燃え尽きた。その燃え尽き感をキープした状態でバタバタと日常に巻き込まれた。いつ空路が雪でふさがるかわからないからといってシーズン中は冬眠を決め込んだ。わざわざ先方の大雪に合わせて飛んだというのは皮肉なものである。学生の頃を過ぎると、その「区切り」が突如襲ってくることがある。とてもとても怖い*1。だから怖くて踏み込めないというのはあるし、その中で日々を過ごす方々にはほんとうにアタマがあがらない。

ざーっとブログを読み返していたが、わたしは「そのとき」について、最近はあえて意識して「区切り」というタームを遣うようにしていたんだなと気がついた。でも、それって、その「区切り」の先で競技を続ける人は一握りだから…という話ではない。

案外、フィールドは拡がっていて、確かに自分がそこにいるには遠いかもしれないし、行っても行ったことのない場所かもしれないし、周りにいる人が知らない人ばかりかもしれないし、でも、ふと、繋がる。ほんとうに、ほんとうに、忘れた頃に。でも。

結局、そのときそのときを、ちゃんと見据えていくしかない、のだろうなぁ。後悔しないように、というのは、その表現が適切なのかどうか、ちと保留事項だけど*2

以上、起きて浅田真央の演技を見てそのまま起きちゃってコーヒー2杯入れながら。

関連???…!!!

あれから7年…という報せを耳にした。

関連…じゃねぇ

芦別で見られないじゃねーか。…というのはどうしてもある。芦別とかその先とかちょっともよっとしているので、あとは全力でちゃれま回避を願う。

*1:ずっと見ていたら、兆候とか覚悟とかそういうものは芽生えるのだろうが、それだって完璧ではない

*2:だってどう動いたって、何かしらの思いは残っちゃうんだし