/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

ハマっている

週末、時間はないなりに、そこそこのバレー分を蓄えることができた。仕事がなければアタマから参加していたはずの「夜バレ」ミーティング、夜の懇親会から合流し、楽しい時間を過ごすことができた。いろんな状況が手伝って、今日は急遽少々ご近所の練習見学に伺って、またまた充実した時間を過ごすことができた。

さて、昨日、懇親会の席で、わたしは「バレーをずっと見ている、よく見ている知っているひとだ」などと、初めてお会いする方向けに紹介をいただいたのだが、とんでもない。結局何もわかってないんじゃないかね、と、自らにツッコみたくなることは日常茶飯事である。

たとえば、先週つくばに行って帰ってきて、急に気になりだしたセッターがいたんだが、「あれはあーでどうでこうで」とキニナリ始めたのが、全部終わってから*1だったので、頭の中の整理が全く出来ずに困っている。どういうセッターなのか、皆目わからないし説明できないのに、ナニカが気になってしまっているのである。たぶん、移籍する前も、その前に移籍する前も含めて、全く見たことがない選手ではないはずなのに、おそろしいほど視界に入っていなかったし、入っていたとしても憶えていないのである。それはわたしというかわたしのカメラのファインダーにとってもそうだったようで、記録的に撮った…ようなものも皆目見当たらないのである。ネット内外にいろいろな方が残してくださっている断片を探して眺めてはどきどきする、そういう非常に燃費の悪い日々を過ごしているのだが、それもどうも違うような気がするのだ。

見ていきたいのは、今や、これからである。そう思っているが、それと同じくらい、いろいろな方の寄せたキモチが温かく深く響いたのがさきのカピオであったわけだ。ひとりひとりにいろいろな局面があり、それが巡り巡って、積み重なって、そしてチームになっていくのだということなのだということが、結局根っこにあるのだろうなと思っている。

また次の「今や、これから」の機会を得たいと思ったが、その機会を待てずにいる。何にせよ、長いシーズン、そのときまで息災でありますよう。セッターに刻まれる帳票をどう読んでいいのかよくわからない、見る目のない(かもしれない)観戦者だが、次の機会まで生き延びてみせるさ。あ、周りの数字を見つめたりしたらいいのかな…うーむ…。

何が幸いするのか、何が心を衝くのか、答えはひとつじゃないから、観戦って深いんだよなぁ、たぶん。今日、いつ見るんだかと思いながらDVDに焼きっぱなしになってた4年くらい前の録画を一瞬紐解いたが、すぐに見続けられなくなって*2やめた。いろんなことがあっての今なのだろうが、今がいとおしい。こまりましたね。

おまけ


最近じわじわとこみ上げる何かを貼っておきますよ。

*1:ヒコーキを待つ時間が長すぎたしね

*2:上手くいえないけど、なんか、違ったんだよなぁ…解説も「大きいから」「高いから」しかいわないし。わからんっつーの。今のほうがずっと高いやろ違うやろ