/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

「流れ」の正体

「バレーボールは流れのスポーツだ」と言われたり、観戦しつつ「いまは○○チームに流れが来てるなぁ」などとことばを発することがある。拙ブログを読み返していても、「流れ」なるフレーズがそこかしこに横たわっている。

「流れ」という便利なことばの中に、掘り下げるべき要素を全て詰め込んでしまっているのではないか、とも思うし、「流れ」ということばは「塩加減」の如く、具体的な質量を敢えて問わない(または、問えない)ために遣っているのでは、とも思うし。

おそらくバレーボールがちゃんと見えるようになれば、ひとつひとつの「流れ」の正体について、ちゃんとその場その場で消化してことばにしていけるのだろうが、自分などには(特にどちらか、どこかへの思い入れを以て見ていたら尚更)、終わってから思い起こしてみて…が精一杯なのかもしれぬ。

これは自分の文章を読み返しての感想込みなのだが、「流れ」と称しているものの中心にあるのは、おそらく、長期のブレイクでどどどどどっと特定のどちらかに点数が入っている状態なのだろうなと。そしてそのきっかけになるのは、やっぱりサーブだったり、ブロックだったりするのだろうなと。拙ブログを検索で新しい順番に見ていって、象徴的だったのが「おまつり」に関する記述だった。セットの中盤から終盤にかけてリリーフサーバーを投入したチームが、連続ブレイクを経てどんどんリードを広げていってしまう事例。

ある時点での「ブロック」がきっかけで得点経過がどどどっと動くことも少なくない。ひとつひとつのブロック(直接点につながるキルブロックに限らず)の中に「必然」と「偶然」の割合がどのくらいあるか。あるキルブロックを「偶然」の多いものに捉えてしまいそうになるから、それを「流れ」と呼ぶしかないのだろうとなんとなく思ってみるが、ことブロックに関しては、まだまだ見るものとして場数を踏み、考察を深めていかなければならないような気はするので、そのあたりは保留。

あとは…コレみたいに、書いたメモからは得点の推移しか読み取れず、しかも状況をちゃんとおさえきれていないからついつい「流れ」ということばを流れで遣ってしまったパターンも散見されるなぁ。その場その場で何が起こってどうなったのか、を、ちゃんと捉えられるようになれば、もうちょっとたのしく試合が追えるのかもしれない。

でも、やっぱり「塩加減」に相当する部分は残しておきたいし、どうしても残っちゃうんだろうけど。