/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

線など引けない

いろんなものを揃えないで書く。トチュウケイカと思って読んでいただければ幸い。

「どう捉えたらいいかわからなくなるニュース」を受けて、かれこれ1週間近くアタマの中がぐるぐると渦巻いている。このニュース自体についてはあえて多くを書かない。今できるのは遠く遠くに向かって手を合わせることだけで、その先にもいろんなことが渦巻くのだが、渦巻くだけ渦巻いて整理できない。

実際に競技に携わる方や指導に携わる方が、上記報道を受けて非常にアタマを痛めているのが見て取れる。アタマの痛め方、その苦悩については、もしかすると競技とは遠いところにいる者(わたしを含めて)にはうまく理解ができないのかもしれない。所謂「体罰ではないもの」も一緒くたにされていると捉えられているとか、外側からは見えないプレイヤーと指導者との信頼関係まで否定されているんじゃないだろうかとか…考えちゃったり構えちゃったり悩んじゃったりしているんだろうなと、そんな気がしている。

そして、何となく内外から伝わってくる空気に、なんだかわたし自身も揺さぶられている。

競技に限らずなんでもそうだけど、何かを覚えるとか、乗り越えるとかって、均一な綺麗な石を並べて積み上げていく作業じゃないんだろう。その中では山も谷もあるし、何らかの慣性に逆らわなければならない時ってそこかしこにあるのだろう。それが激しい練習だったり、遊びに行くのを我慢しての勉強だったり、残業だったり、耳に痛い忠告を聞くことだったり。何も越えずに新しいことをたのしくたのしく吸収し続けていられるのならばそれがいちばんありがたいのだが、そうとも限らない…

で、そういう「何らかの慣性に逆らうこと」の中でも「体罰」というのは法に背く行為であるだけではなく、目的を達する助けになるのかどうか怪しげな悪手であると思うので、個人的には受け容れがたいことが多い。しかし、それと明らかにわかるものではなくても、時として「じゃあそれは体罰なのそーじゃないの?」的な行為や言動が見えて、そして、それは見るものの立場や角度によって大きく見え方が異なってくる。

いちばん卑近な例でいうと、あれは体罰とちゃうのか?と思うことが(時と場合によって)あるのが、ワンマン(バスじゃないよ)。割と長い間、それは疑問に思ってる。尤も、各所でそーじゃないワンマンにも遭遇してるので、全否定のかたちで書いているわけじゃない。でもなぁ「そーだ」「そーじゃない」みたいなことって、そうそう判別つきにくいよなぁ。などとは思うしのぉ…

そう。判別つきにくい諸々のことを(冒頭で書いた悩める競技者の件を含め)全て厳しめの方向に受け止めたとして、そう受け止めたところを古くさいヨネーそう言う殊じゃないヨネー許せないヨネーと思ったとして、それでも関連する競技その他もろもろを見て楽しんでいる自分ってなんだよー、というあたり。ずーっと前からぐるぐるしてるって書いたばかりだけど、更に輪をかけているのだわー。もうそろそろ隣の芝生が青いというだけでは厭なんだよなぁ。どうすればイインダー。というあたりをもうちょとちゃんと整理できたら、春高あたりももっと楽しめるような気がしてて、そんな自分が残念でならんのダヨネー。