/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

新年に、初めて、飛び交うボールを見つめながら

おそらく昨日は「初めて、その年に初めて練習するチームの練習を見学」した、ことになるんだと思う。タイミングがここまで合うのは珍しい、かもしれないなぁ…。おそらく、ことしもしばしばお邪魔しますが、どうぞ宜しくお願いいたしますとエア新年のご挨拶。

飛び交うボールは、年が明けてから、スクリーンやテレビの画面で見てた。バレーボールって、ギリギリのところでシロとクロがハッキリ分かれて、そのシロとクロの積み重ねによって勝敗が決する競技であるということに、しばしば思いを致しているが、何か越しではなくて、生で練習を見ていて、その意を更に強くした。巷にある議論、作戦、その他…については、如何に自陣がシロを集めていくか…に、結局収斂されるんだろうなという気がしている。得点は1点ずつしか入らないが、1点白いものが転がったら、そこからころころころ…と同じ色のものが転がるような局面もあるわけで(サーブミスガーのことは年末から引っかかっているが、とりあえずこの稿では措く)。

そのちょっと前にえらく重いニュースを聞いた。そのニュースが重かったのは、ニュースそのものの内容のみならず、聞いたひとの反応によるところでもあった。何をどう肯定するとか否定するとか、聞こえる話と捉えるひとの立場や状況と、その他ごちゃごちゃになって迫ってくるものはあった。

それ自体が重い…んじゃなくて、「じゃあなんでいろんな矛盾を感じつつ、自分はそれを見てるんだ」という問いに、何ら適切な答えがないことが、どうにも大きく響いてくる。

シロとクロを分けるギリギリのところを、どこかで、何らかのかたちで乗り越えてきているからこそ、自分の目の前にいるひとたちなのだろうな…何かしらを越えながら、ギリギリの何かを研ぎ澄ませながら、そこにいるんだろうなぁ…と。

で、それ、自分のような者が、何も考えないで見ててええの?と。

…などということを短時間でぐるぐるさせられるようなことばを、ボールが発していたところを見た感じがするなぁ。昨日は。ボールってすげぇ雄弁だよなぁ。というか、ボールにことばを持たせられるのは…見ていてすてきだなぁ。メッセージはそこにあればいいじゃない。

#尤も、バレーに関わる全てのひとが、ボールを喋らせられるかというと、またそれは別な話になっちゃうのかもしれないので、そうすると別な手段を持って来なきゃとなってしまうのかもしれないが…と考えたところで、あれ、「桐島…」で急遽出場するリベロがエースからワンマンされるシーンで、エースがリベロに直接ボールぶつけるシーン無かったっけ…とふと疑問に思ったのであった。あったような気がして、なんだかもう一度見たいような気がしてきてて(明日なら間に合うw)。もしそうだとすると、それはどの辺りからの発意だったんだろうとか…急に気になりだしたので。で、げんこつやバットならNGでボールならあるの?とか、先生がやればあれでチームメイトがやればそれなのだろうか…とか。