/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

(底辺+高さ)÷2、という誤り。

数年前の広告で台形さんが悲しげに手を振っている*1、というのがあったが、本件それとは関係ない。おそらく最近タイムラインなどでよく目にすることばが、脳内で勝手にワードサラダ状態になっただけだ。ちなみに表題は三角形の面積を求める公式だが、おそらく三角形に切られた状態で供されるのはこんにゃくだ。
※表題で思いっきり公式を誤った。正しくは「底辺×高さ÷2」。どこかで台形と混ざったか、三角形に切ってもらえない何かに恨みを買ったか、単に書いたひとがぼけたか。恥ずかしい「ので」そのまま残しておく。
よく、バレーボール界隈で「底辺」ということばを耳にする。たぶんバレーボールばかりではない。当方がたまたまバレーボールをよく見るからその方面から聞こえるなのだろう。主に「底辺拡大」みたいな意味合いで遣われることが多い。しかし、そのことばを聞く角度や持ってこられ方によっては、なんというか、妙な違和感が残ることがある。

なんとなく、「底辺」って、その長さではなく、位置について述べるときに遣うことばじゃないような気がするのだ。「底辺」を分類のひとつにするのがおかしいんだろうと。もし謙遜的に遣うんだったら、また別のことばがあるんじゃないのかなと(具体的にどういうカテゴリでバレーやってるか、だけでじゅうぶんじゃないのと)。

ことばって、自分が知らない(知識として、というよりは、感覚として)意味合いがあるから難しい。「底辺を支えていることに誇りを持っている」という意見をついったーでうかがって、ああ、自分にはそういう視野がなかったなぁ、とは思った。思ってはみたが、やっぱり…。支えているのであれば「下地」とか「土台」とかそういうことじゃないのかと。

これ以上書くとことば遊びになってしまいかねない。

底辺を「位置」という意味合いのことばとして遣ってしまうと、三角形の形をした何かが頭に浮かんでしまう。そこには頂点がある。ついついそこから「ていへんはがんばってるけどちょうてんはなにしてるんだ」という発想に思いいたってしまう。その三角形を輪切りにして、切ったどこそこはどーで…と言い始めてしまう。

別にこちらは三角形を切ってその切り口を持ってバレーボールを見てるわけじゃない。どこだから見る、じゃない(そりゃ見たいものが重なったときに優先順位とかあるが)。

高さということばも難しいんだろうな。複合しちゃうと「ていへんにたかさがなくて」みたいな話になりかねないのも要注意す。

底辺はどう拡がるのか、というのは、また大きな問題としてあるわけだが。

*1:台形の面積公式って小学校でやらなくなったのけ