/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

ああ、わたしはなにもしていない。していないのにありがたい。

きょうは朝から時間感覚が怪しい。ちょっと早めに休もうと思ったのだが、まとまらんーと言いつつきのうの試合のことを思い出しながら書いていたら、日を跨いでしまい、一度目が覚めたら女子サッカーワールドカップ、決勝のキックオフ直前で、テレビを見ながらうとうとして、次に目が覚めたら延長後半で、横になりつつ音だけ聞いてたが、気がつくとテレビ画面のテロップに「なでしこジャパン祝優勝」と出ていてびっくりした。

優勝おめでとうございます。本当におめでとうございます。

その後昼近くになって、再放送をTVで見ながら、いろいろなことを考えたし考えさせられたし。この試合自体の消化とか、感動とか、感動の演出とか、この競技自体を含めた国内リーグの環境だとか、翻って、いつもサッカーを隣の体育館から見つめるような目線だとか、いろいろない交ぜになった。

高校野球をちょっと見て、相撲を見て、それからまた考える。

「感動をありがとう」ってふしぎな言葉だよなと思う。「感動した」の主語は自分なのに、何故人から貰ったことになるのか。
そして、見る側がやったことといえば、見たということだけである。「見る」という行為に及んだことと、その見たことにより何らかのかたちで自分の心を「動かした」こと、能動的な動きって、確かにそのくらいだ。

普段、自分は自分が見ている競技において「何かのために何かをした」わけではなく、ただただ見たらたのしいからみて、そこからたのしかったといい、これからどうなるだろうとわくわくものを考えて…ということを、ただただしている。競技者としてそれを支えたわけではないし、何か建設的なものの分析が出来るわけでもない。
「おまえは何もしてないだろうが」といわれて「はい、そうですとも」と返すことしかできないし、それ以外のことをいったりしたりするのも、ちょっと違うのかなと思っている。

でも、おそらく今後も愚直にソレを繰り返すのみ、だろう。スポーツを観ていておもしろい(もちろん、いいことばかりではない)と思える限り、ずっと繰り返すのみ、なのだろう。それでいいのかな。