/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

バレーボールの情報発信が何故「難しい」のか

タイトルの答えは書ききれないような気がする。でも、自分でもそう思う。
Inspired:バレー情報|楽しく考える男子バレー

自分もバレーを見ているけれど、自分は書きませんでは、広がっていかないと思います。

バレー情報|楽しく考える男子バレー

そういわれても難しいのよ…ってのはある。自分が知ったことを出し惜しみしたいわけではなく、「どう出すか」ということそのものが難しいのよ、と。
バレーボールを見たり、バレーボールについて何らかの情報を得た個々が、それをどこかに発信しようとした場合、どうしても「どういう情報か」というのと「誰が発信した」ということを切り離せない。切り離せるほど場が広くない。
人と情報が切り離せないというのは、その情報を武器にしたい、アピールしたい、という人(それこそジャーナリストとかライターとか、ソレを仕事にしているひと)以外にとっては、いろいろと面倒なことである。「難しさ」って、そこにあるんじゃないのかなと思う。情報に対するリアクションも、情報そのものにではなく、出した人に返ってきて、どう対応していいか考えてしまう、というところにも繋がる。それもまた難しい、ということなのだろう。

おまいはどうなんだ、と言われた場合に答えはひとつ。自分という受信者のために残している、という側面がいちばんでかい。結果的に自分以外が捜して辿り着いてて結果的にお役にたててた、というケースが少なからずあって、そのたびに驚いているわけなのだが、でも、基本的に、自分のブログの最大の読者は、自分。自分以外からのリアクションについては、気を遣いすぎて不適切になる場合も、対応し切れていない場合も多々ある(コメントが返せていないのは、大抵そういう場合)。

情報だけを充足する方法などないのだろう。あるのかもしれないが。実は日々いい方法がないかを考えている。

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実は「発信が難しい」理由にはもうひとつあるのだと思うが、これを考え始めると、別の意味で堂々巡りになりそうなので、暫く触れずにおこうかと思う。理由そのものは一行で書ける。
「見られる場所が偏っているんだよ!」
この偏りがある限り「ほしい、だせないけど」というのは続くだろうし、そういうひとに「なんでだろう」と思っちゃいけないだろう。自分がかつてそうであった、そしていつまたそうなるかわからない者のひとりとして、しみじみ。まぁ、もし、同じような状況になったら、極力、なんとかその場所のバレーをつかまえに行って、何か書ければいいなぁというのはあるけれど。