/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

1999年の全日本インカレプログラム

実家の本棚を辿っていたら表記のブツが出てきた。既にミキプルーンの冠がついている。
右は1989年の全日本インカレプログラム。

表紙は左上に浅倉(当時東海#1、4年)、左下に宇佐美(当時東海#15、3年)、右に北川(当時亜細亜#2、4年)と並んでいる。
この頃大会は2部編成でおこなわれていて、男子は1次ラウンドが12/1〜4で愛知、ベスト8が進出する決勝ラウンドが12/17〜19大阪開催だった。当時当方は東京にいたのだが、そのときの状況を考えると、そこまで行ったというのは考えにくい。女子のプログラムも一緒にあったということは、女子1次ラウンド(決勝ラウンドは同日同会場)が行われていた駒沢体育館あたりで調達したものと思われる(あれ、それとも…大阪行ったっけなぁ。忘れているし)。

この年は、スペイン・マヨルカ島パルマ市で行われたユニバーシアードで、日本男子チームが銀メダルを獲得した。森田監督率いるこのチーム、そうそうたるメンバーが並んでいた(この記事の末尾にメンバーを記す)。プログラムではこのユニバチームの紹介に4ページを割いている。
プログラムは、挨拶、組み合わせ表、そしてこのユニバ記事のあと、各大学の紹介へと続いている。4年生が1977-78年生まれの世代、記事には筑波が3連覇を賭けて戦うとあるので、この大会を制したのは筑波、ということではあるのだが、群雄割拠、名前を知る選手は各大学にいる。
出場チーム紹介は1/2ページの大学と1/4ページの大学があるが、1/2ページで紹介されているのは下記大学。目にとまった選手の名前を洗い出そうと思ったが、きりがない(実は今時間もない)ので今回は割愛する。

1/2スペースで掲載されていた大学(掲載順・括弧内は当時のリーグ戦順位)[主将]

なんか3年(78)世代が強烈だなぁ…とは思った。この記事にもかかれているが、指導者になったひともかなりいるんだよなぁ。
なお、今と違ってこのプログラムにかかれているわけではないが、東西対抗も前年から復活していたのである。
当時、個人的にはバレーは「1シーズン1回行ければいいかなぁ」くらいの勢いであって、翌年あたりから長い空白期に入っていた。筑波の連覇を目の当たりにしていなかったのもそのあたりの事情からである。日本の男子バレーを押し上げるはずのこの世代、ユニバ2位などいろいろ勢いがあり、上にも下にも選手も揃っていて…そこから如何にしてその後の状態に至ったのか。じゃあ今はどうなのか。…ある時期の記録を見ると、それだけでいろいろ考えてしまうところはある。

1999年ユニバーシアードパルマ大会 日本代表メンバー

スタッフ
選手

※ポジションはプログラムの記述通り

  1. 朝日健太郎サントリー)197/センター
  2. 川浦博昭(富士フイルム)200/センター
  3. (主将)臺光章(JT)183/セッター
  4. 山口誠(東レ)188/セッター
  5. 加藤陽一東レ)190/エース
  6. 増村雅尚富士フイルム)190/エース、スーパーエース
  7. 北川祐介亜細亜大4)197/センター
  8. 浅倉勇(東海大4)192/エース、スーパーエース
  9. 川村慎二(大商大4)188/リベロ、エース
  10. 諸隈直樹(法政大3)190/エース
  11. 山本隆弘日体大3)200/エース、スーパーエース
  12. 直弘龍治(東亜大3)198/スーパーエース

ポジション記述とかリベロとか…に、時代をかいま見たりかいま見なかったり。

*1:プログラムにはこの字で書かれていた。弟は1年