/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

「10.19」は、1988年の出来事だった

バレーボール界隈に於いて、実は「はちよん」以来の逸材揃いなのが「はちはち」(現・大学3年の世代)で、その世代が4年になるってのは、来年はかなり強烈な年になるのだろうなと一瞬思ったのだが、鬼が笑うみたいなので自重してみたりもした。

帰宅してからテレビで野球を見ていたところ「そういえば21年前はあの日だった」と耳元でささやく人あって、うおっ、そうだ今日は10.19だ、と思い至った。

「10.19(じってんいちきゅう)」といえば、一言ではとても言い尽くせない、パ・リーグの一番長い日だった。Wikipediaのその項目は、すさまじく充実していた。
Wikipedia:10.19
一気に読み進めたのだが、もう、試合がおこなわれた球場は様変わりし、この舞台に出てくる一方のチームは無いし、この世にいない選手も娑婆にいない選手もいる。時が過ぎるというのはなんということであろうか。1988年10月7日に生まれた八子さん冨士田さんは生後12日じゃないか。でかかったのかなぁ。

10.19に関する記述を読みながら、昨日、ドラマよりもドラマチックな展開になった国士舘-宇都宮を思い出したりした。このコートにいた選手の半分くらいは、10.19のとき、まだ生まれていない。

スポーツを見ていて、「願った通りにことが運ぶとは限らない」ということを思い知らされたのが、この「10.19」の時だったんだろうなということを改めて感じた。何だかんだで、20年以上、どこかに息づいていたのかな、こんな気持ちが。まさか、チームが存在し続けること、それ自体についても、同じようなことになるとは思ってもみなかったが。

確か、「10.19」の頃も、わたしは大学バレーを観ていた。このとき大学バレーを観ていたのも、今、また自分が、大学バレーを観ているのも、「毎年毎年節目があって、取り返しが付かないと思ってしまうシーンがあって、それをくぐり抜けた選手がその重い経験から何かを掴んでいく」ことに、何度となく心を惹かれるからであろう。

勝ちも、負けも、しっかり受け止めながら進みたい。進むところを見たい。この秋、関東大学バレーの1部-2部で入替戦がおこなわれるかどうかはまだよくわからないし、それぞれの思惑はあるのだろうが、なんとかおこなわれて欲しい。いろいろな痛みが、さまざまな試練が、そこに立つ人を大きくするのであれば。そして、このヤマ場での戦いは、ビッグイヤー・2010年に引き継がれていくのである…

そういえば…「10.19」の翌年・1989年の「10.12」は、西武球場で見たものであった。近鉄好きだったのよ。