/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

思いを紡ぐことば、ことばにしたい思い

ネットニュースで、産経新聞・青山綾里記者の署名記事を読んだ。

私が最年少の15歳でアトランタ五輪に初出場(100メートルバタフライ)した1996年、当時会長だった古橋さんに「緊張はする。でも思い切って自分のレースをしてきなさい」と笑顔で送り出してもらった。大学3年で引退後、約5年を経て新聞記者として再び水泳界に戻ってきたときも、「すごいねぇ。記者さんは大変だけど、たくさん勉強して頑張るんだよ」と優しく励ましてくれた。

http://sankei.jp.msn.com/sports/other/090802/oth0908022106009-n1.htm

実はことしの春高絡みの記事を読んで、初めてこのひとが新聞記者になっていることを知った。そこに、ひとつの競技に打ち込んできたアスリートの視線が垣間見えた。以後、ネット上で署名記事を見つけては、一生懸命読んでいる。

現役引退後、2004年に産経新聞社に入社した青山記者がスポーツ取材の現場に異動したのは2008年である(と、Wikipediaに書かれていた。→wikipedia:青山綾里
2008年といえばちょうど北京五輪の年であり、自らの経験を含め、この人でなければ書けないであろう記事の数々が、Webのアーカイブにしっかり残されている。→http://sankei.jp.msn.com/beijing2008/topics/beijing2008-t9941.htm

その記事を読みつつ、実は当方が学生生活を送った所沢を思い起こしていた。所沢にかよった4年間というのは、さまざまな競技におけるこの国のトップクラスの選手と机を並べた、貴重な経験であった。その迫力と、それぞれに何かを達観したような雰囲気(特に水泳選手には、なぜかかなり大人びたものを感じた)に、とにかく圧倒された。この頃、当方は、スポーツについて(特にバレーボールについて)何かを書いたり伝えたりする仕事をしたい、という思いを抱いていたが、それ以前にわたしゃこのひとたちとちゃんと向き合えるのか、何かをぶつけたりぶつけられたりできるのか、と…正直怖じ気づいたものであった。
困ったことに、その頃抱いた将来の目標なるもの、現在に至ってもほんとうに執拗に自分の中で絡まっている。つい最近になって「このペンネームで載せてくださいお願いします」と告げたその名前が印刷物に出てきているのを見て、また何かを反復する。ここ1ヶ月、繰り返すばかりだ。

学生時代、競技と真っ正面から向かい合い、何かをちゃんと見据えた人にしか、筋道立てて競技を語ったり記事を起こしたりすることは出来ないものだと考えるようになっていた。否、実は今もそう考えているところが強い。スポーツ界隈の「王道」では、まだまだしばらく新聞が頑張らないといけないのだと思う。「新聞」のスポーツジャーナリズムを引っ張って、読み応えのある記事を提供していく、パワフルな「若い」世代が、潰れずにしおれずに変わっていく時代を支えてほしい。

その力を信じて見守りながら、当方は当方に出来ることを捜して、出来ることを地道にやっていこうと考えた。
ブログという小さな畑に、アスリートに対するいっぱいの敬意を以て、何かを植えていく。
競技者ではない者に出来ることもたぶんあるんだよね。憧れるアスリートを見上げる首の痛みを思い出すのだよ。

参考(?)

対照的にも見えるし、軸が異なっても見える、今日読んだもうふたつの記事をいっしょに噛みしめて、何かとっかかりが見えてきたような。