/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

さいしょとか、さいごとか、あと2日とか

なんだかんだ言って、やっぱり全日本インカレって、「4年生のモノ」なのだと思う。ちょと言葉が適切なのかどうかがわからないのだが…

最近、ついつい、初めてこの大会を見たときのことを思い出す。
以下、思い出すと言っても、ほんとに記憶の中だけのことを書き起こすので、ちょっとその中身が乱暴ではあらぁことを先にお断りしておく。
大学バレーの当年度総決算である全日本インカレ、現在は東京集中1週間という大会開催であるが、この形態になってから、おそらく10年経ってないと思う。
ベスト8までを1週目に(たとえば大阪で)行ない、ベスト8を別の場所(たとえば東京)に集めて次の週に決戦、という形態で運営されていた時期もあるし、それ以前はいろいろな場所で、現在のような集中開催(あ、男女一緒かどうかは忘れた)だったと記憶している。

当方が初めて見に行ったのは、大阪で行なわれた大会だった。
応援していた大学は、準決勝で敗れた。下級生エースがスタメンとして出場していたが、その日は非常に調子が悪かったか、ミスを繰り返し、それ故に波に乗れなかった。
一緒に見ていたひとが、そのエースと入れ替わってリザーブに回っていた4年生を応援していた。実はその4年生はかなり人気があった*1
「4年生は最後だったのに…」
と、そのひとは嘆きつつ呟いた。
当方はその言葉から、そして、目の前に広がる光景から、大学バレーの「脈々と受け継がれてきている、そのキモチ」を汲んだ。貴重な体験であったと、今にしても思う。

それから。
その下級生エースは、それから学年を重ねる過程で、そのときの…を、どうやって消化しつつ、大学バレーの「〆」に向かっていくのだろうかとは、ずっと思っていた。
しかしその「最後の全日本インカレ」は、かなり予想外な形でやってきた。

全日本インカレの開催地、またしても大阪*2

実はワールドカップが1週間前まで行なわれていて、学生として全日本に選ばれていたその選手は、ワールドカップで目覚ましい活躍を遂げた。それゆえ、全日本インカレの前売りがどーだったのかは憶えていないのだが、とにかく会場であった大阪府立体育会館は、エライ騒ぎとなった。

事前にある程度予期して早めに府体に向かい、開場前から並んでいたのだが、そうしたらいきなり後ろから強烈な圧力が加わったのであった。実は相当身の危険を感じたモノだった。

結局、その試合も、準決勝敗退。
勝った負けたというそのこと以上に、大学は一躍スターダムにのし上がったこの選手まわりの警護(?)だの、観客の人口密度により傾きかねない会場の勢いだの、いろいろコートの外のあれこれと対峙しなければいけなかったんだろうなぁ、と、そのことばかりが印象に残り、「選手としての最後のインカレ」というものがキチンと完遂されたのか、どうだったのか、それがわからぬままに…シーズンが終わったというその記憶が、ホント断片的ではあるのだが、蘇ってきたのである*3

2008年。
インカレ、という報せと連動して、注目を集めそうな選手には4年生が多い。
せめて、この4年生がそれぞれ「大学生としての集大成」が出来るように…と、ついつい感じ入ってしまうのである。
全日本インカレはトーナメント戦であるがゆえに、本気で笑ってシーズンを終えられるのは1チームしかないのであるが、それぞれに何かがぷすぷすと残ることがなく、それぞれなりにナットクずくでシーズンを終えられるように…と、イロイロな見地から願うばかりである。

そろそろ全国各地から大学生チームが東京に集まりつつあるのだろうなとか、選手の進路に関するニュースに触れて「ああ、これでホントに見納めになるのかな…」と寂しい思いをしたりとか、いろいろあるのだが…秋じゃないけどね。もう冬だけどね。

久々に下級生目線のことを考えつつも、まもなく開幕するインカレに思いを馳せちゃったり。
#あ、交流戦ってこのタイミングで組まれることがあるんだそういえば、ということを思い出したのは、初めて大阪に行ったときに、インカレ終了翌日だったかに早関戦*4を観たのを思い出したからかな…

それぞれが、それぞれの「今の」チームの形で戦えるのは、来週まで…*5

*1:現在はスタアさんの所属する大学のかんつくです

*2:前年は仙台でした…

*3:時は1989年。ジュニアさんたちの多くが生まれた年ですな

*4:わせだとくゎんがく

*5:あ、天皇杯は別ね