控え選手
v-m-s.netを読んで、素朴に思ったことをmemo。
控え選手については、コート上のひとびとと同じチームの一員として、その場所で「戦っている」姿が見られるだけで、まずはありがたい。
その姿を見るだけで、こちらの気持ちも盛り上がってくるし、その場に対する思い入れが増幅してくる。
おカネを払って試合会場に行って、控え選手のそういう姿を見つつも満たされることは、個人的には…ある。
そのほとんどを控えとして過ごしたにも関わらず、時としてレギュラー以上にココロに深く刻まれる選手ってのはいるわけで、…ちょっとあとで別館に何か書く書いてきた。
審判云々の話はシチュエーションがわからんので何とも言えないのだが、その場で控えにいた選手が「戦う」ことの一環としてそれを言うことを選択したと判断できることであれば、それはどうなのかなぁ…
試合を観る側としては、控え選手にとっても、ベンチの外のチームメイトにとっても、その試合の最中は戦いなのだと思っているのだが、時に寂しいのは、その中に試合に対して我関せずに見えたり、戦況と違うところでにこやかに語らっていたりするところを目の当たりにすること。
それを去年、或る崖っぷちで見たときは言葉を失ったものであった…崖っぷちって、観る者にそう見えても実はそう感じられてなかったのかなとか考えてしまったものだった。
まぁ、控え選手が控え選手たる理由にはいろいろあるので、単純には解釈できないわけなのだが…