/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

怪しい記憶in1997年くらいから

そういえば、札幌にいた1997年の暮れに、函館までVリーグを見に行って帰ってきてすぐ朝休日出勤*1でトラブル対処していたなぁということを、きょう函館本線の中で唐突に思い出した。
ということは、手許にあるチームの顔(なぜか96,98,99のみある。この頃のチームの顔には実業団リーグ→V1リーグについての記述皆無)って、会場で入手したか、それと前後して調達したか、ということのようである。
ちなみに、その函館でのカードは、NEC-富士フイルムJT-東レ。いったい何を思い立ち何を見に行ったのかを憶えていない。そこに存在する中では一番思い入れがあった選手が、実質この年がラストシーズンになったということではあったのだが。うーむ。試合に出るところを期待していたわけではなさそうだし。
ついつい当時書いていた(と記憶していた)Webサイトをアーカイブで捜そうとしてみたものの、函館行ったのそのサイトの開設前だ(汗

そういえば、表紙に8人男子選手がいて、そのうち3人未だに現役だ。すげぇ。

1999年は、男子も10チーム。豊田合成は下で優勝して上がり、旭化成も2位だから上がり(以上2チームは、チーム増に伴う自動昇格)、NTT東海は3位だったが住友金属が休部したから代わりに上がった、と記述がある。前年まで8チームの際は自動昇格・降格があったのが、この10チームになったときになくなったという記述もある。徐々に、そして大きな波として押し寄せる廃部スパイラルの始まりだったのだという、今読み返しても、なんつーか重いものがのしかかってくる。

ここで何回か書いているのだが、ほんとTUV登場まで、大学を見始めてからはVリーグに特別の贔屓チームを持たずに来ていた。だから、憶えている選手はチーム単位ということではなく、何故か大学で見た筋…だけだというのが顕著で、うーむ。バレーボールマガジンの1999年1月号もあって、そちらには全日本インカレの総決算がどどんと出ている。筑波は加藤増村山口etcの代が4年。つまり1976世代。日体のエースだの商大の司令塔だのを今更記事内にて視認したりする。うーむ。
ほんとだ。ほんとに、2000〜2003くらいって、当方の中では空白期だ。ああ。良い時代だったのか否かすら、現在ネット上に残っているアーカイブなどを見てもよくわからない。

何故チーム数が増えたときに自動昇格・降格がなくなったのか。そして何故減ったときにその点はそのまま続いたのか。旭化成までなくなって久しい現在から「そのとき」をどう視て、どう「今」につなげて行くのがベストなのか。

その頃の屈託ないサントリー新人MBの笑顔を見ながらふともの思う。

*1:というより夜行に乗って戻ってそのままシゴトバに転がり込んだ